2016-12-25

何週間か前、
 お父さんがうちに引っ越してきた。

 

今は父、姉、姪、私の4人で生活を送っている。

 

少し前まで、お母さんに会えないのはただ別の家で暮らしているからだけなんじゃないかと思える余地があったけど、もうその考えが入り込むスペースはない。

 

お父さんが引っ越してきたことでお母さんの死が彩度を持った。

 

楽しいことや悲しいことが起こったときはいつも、それをお母さんに報告出来ないという思いがぼんやりとした絶望を運んでくるが、それよりもただ普段の家族団欒がつらい。

 

私と姉と姪が3人暮らし、父と母が2人暮らしという形態になったのは、ここ2年の話で、お姉ちゃんは早くして家を出たし、お父さんは単身赴任の多い会社に勤めてたから、わたしの23年間はお母さんと2人暮らしみたいな期間が圧倒的に多かった。

 

お父さんとお姉ちゃんがそこにいるのに、お母さんがそこにいないことへの違和感がものすごくあって、4人でテーブルを囲むとどうしようもなく泣きたくなる。

 

お母さんに会いたい。

 

 

 

2016-11-10

11/10にお母さんが亡くなった。

 

会社のお昼休みの時間にお父さんから「お母さんが危篤状態です」とLINEがきて、上司に事情を話し早退した。

 

14:30くらいに実家に着くと、お母さんは肩で息をしてる状態で、本当に苦しそうだった。

 

お母さんの手を握ると何度か握り返してくれて嬉しかった。

「お母さん大好きだよ。」と言うと、聞こえなかったみたいで「え?」と言われた。

その後に「わたしは大丈夫だからね。」と言うと「わかった」と言われた。

もう一回「お母さん大好きだよ。」と言うと今度はうなずいてくれた。

 

16:00になると看護師さんがきて手当をしてくれた。

 

看護師さんが帰ってから、お父さんはリビングで休憩していて、わたしは1人でお母さんの部屋に行き、また手を握った。

 

お母さんは医療用の麻薬を飲んで眠ったみたいだった。
定期的に肩が揺れて、生きてることに安心した。
16:20頃、お母さんの名前を呼ぶと二回小さく息を吐き、肩の揺れが止まった。

 

それがお母さんの最期だった。

 

耳は最期まで聴こえるとよく言われてるけど、お母さんが最期に聞いたのはわたしの声だったのかな。だといいなぁ。

 

以前お母さんに「みかちゃんの誕生日までは頑張ろうと思った」と言われたけど、本当にわたしの誕生日(10/19)が過ぎたあたりから急激に体調が悪くなったり、息をひきとる瞬間を見たのは家族でわたしだけだったり、お母さんはわたしをものすごく愛してくれたんだなと思った。


6月の中旬に入院してた時、かなり危険な状態で「お母さん、もう長くないからね」って本人も言ってたけど、そこから5ヶ月間甘ったれなわたしの心の準備が出来るまで待っててくれてたんだろうなぁ。

 

ちゃんと「大好きだよ」と「大丈夫だよ」を言えたので悔いはないです。

 

57年と8ヶ月本当にお疲れ様でした。

 

おしゃれが好きでアクティブなお母さんが、寝たきりの闘病生活送るのはきっとつらかっただろうけど、もう今はすべての苦しみから解放されて天国で楽しくやってるんだろうなぁ。何十年か後に再会して思い出話たくさんするの楽しみ。

 

お母さんは優しくて強くて可愛い人でした。

 

お母さんの子供に生まれてこれて幸せです。

 

こんなに穏やかな気持ちでお母さんの死を受け入れられるなんて自分でも驚いてる。

 

 

 

 

2016-10-19

23歳の誕生日だった。

 

学生の頃みたいに、メールが何通来るかとか、友達から誕生日プレゼントはもらえるかとか、ソワソワすることはなくなった。

 

ただメーターがひとつ動いただけって感じ。23歳の誕生日なんてそんなもんかな。

 

遠い未来に思い返した時、23歳のとき結構じぶん頑張ってたなと思えるように、毎日必死で生きていくぞ。

 

 

 

2016-10-16

なかなか寝付けず、本を読んでた深夜0時過ぎ。
ガラッとわたしの部屋のふすまが開いて、お父さんが「お母さんが、お母さんが、危ない」と言う。


急いでお母さんの部屋に行く。

 

お母さんは癌が肺にも転移していて、自力では少ししか酸素が取り込めないので、常に酸素マスクを付けているのだか、酸素濃度測定器をお母さんの指にはめると、酸素量が60%しかない。

 

測定器が壊れてるのかと、お父さんが自分の指にはめるとちゃんと98%と表示される。

 

お父さんはパニックになって何回も「測定器が壊れてるんじゃないか、もう一回測ってみよう」と言う。

 

主治医の携帯に電話をすると、「酸素濃縮器の設定が高すぎると二酸化炭素が発生して逆に苦しくなるので、少し酸素量を下げてみてください」と言われるが、その通りにしてみても測定器の表示は変わらない。

 

冷静になって、酸素マスクのチューブを辿ってみると、マスクと酸素濃縮器本体が外れていたので、慌てて繋ぐ。

 

5分後にもう一度お母さんの酸素量を測ると97%まで回復していた。

 

緊急事態こそ冷静にならないと。
泣いてる場合じゃない。

2016-10-15

今日もお母さんは元気がないので、あまり話せず。
でも、食欲は少し戻ったみたいで良かった。顔色も昨日よりは良い。


お父さんがやたらと結婚の相手の選び方みたいな話をしてくる。
最終的には「配偶者は結局他人だし、核家族化するのは良くない。結婚しても大きな家でみんな一緒に暮らそう。」と言っていた。
お母さんがいなくなった後に、わたしが誰かと結婚して、孤独になるのが怖いんだと思う。

 

「まぁ、先のことなんてわかんないしね」とかいう曖昧な返事しか出来なかった。

 

 

2016-10-14

お母さんが乳がんだということが判ってから、できるだけ金土日は実家で過ごすようにしてる。

 

今日のお母さんは元気がない。
話しかけてもいつものように笑わない。
食事もあまりとってないらしい。


先週会ったときは「なんか最近すごく元気だし、もしかしたら東京オリンピックも観れるかも」なんて言ってたのに。

 

6月に肺炎を併発して入院した時は会話も少ししか出来ない状態で、本人からも「もうお母さんは先が長くないからね」って言われたけど、退院した途端に1日中会話ができるくらいまで回復した。

 

毎週毎週会うたびに体調が変わる。

 

いまの元気のなさが一時的なものなのか致命的なものなのかまったく分からない。

 

お父さんが「ひとりで散歩してるとお母さんが元気だった時に、ふたりで一緒に散歩した日のことを思い出す」って言ってて切なくなった。

 

終わりはどれくらい近づいてるんだろう。